『第14回三重さんぽ』

阿漕々浦伝説。漁夫の平治は、母の病気を治すため、禁漁の阿漕々浦で矢柄(やがら)という魚を捕ったため、簀巻にされて罰せられた。

その後,海から毎夜のように人の泣き声や網を打つ音が聞こえるようになった。

そのため、平治を供養をするために、天明2年(1782年)綿内町吉朗兵衛他二名の発起により阿漕塚が建てられました。

句碑には、芭蕉の句「月の夜 何を阿古木に 啼く千鳥」と刻まれています。

謡曲「阿漕」や、浄瑠璃「あこぎの平治」の題材となりました。

「阿漕」という語句は「情け・容赦ない」の語源となって現在も使われています。

平治が魚を取る時に浜に笠を置き忘れたために見つかったと言われていますが、この時に見つかった笠を

モチーフにして平時煎餅として販売されています。

地元では有名な銘菓のひとつになっています。

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