『第11回三重さんぽ』

今回は藤堂高虎公です。藤堂高虎公は、弘治2年(1556)に、近江国犬上郡藤堂村(現在の滋賀県甲良町)に、郷士であった虎高の子として生まれました。高虎は、初めて仕えた主君浅井長政のもとで、姉川の戦いに足軽として初めて戦いに参加しました。その後、羽柴(豊臣)秀長に見込まれて、300石で召し抱えられると、多くの合戦で顕著な戦功を挙げ、主君の全幅の信頼を得て活躍しました。その後、豊臣秀吉に仕え、秀吉亡きあとは徳川家康に仕え、武功で主君に信頼を得るとともに、築城技術の名手としても主君から全幅の信頼を得て、大いに活躍しました。徳川家康には側近として仕えて、常に家康に重用され、関ヶ原の戦いおよび大坂の陣において著しい戦功を挙げて家康の信託を決定的にしました。そのため、外様大名でありながら、徳川幕府を支える重鎮として、慶長13年(1608)に、家康から伊勢国の一部、伊賀国一円の領主として命ぜられて、初代津藩主となり、最終的に32万3,950石の大名に上り詰めました。以後、津藩は明治維新まで改易されることなく、260年間続きました。

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