『第17回三重さんぽ』

原田二郎は松阪市に生まれ、21歳の明治維新後に京都で勤め、23歳に横浜市で洋学と医術を学ばれました。

その後は大蔵省に勤め、当時の給料は25円。生活は質素で10円を生活費、10円を親の住む実家への仕送り、5円を貯蓄していたそうです。

31歳で横浜の第74国立銀行の頭取になり、その後、事業の中で損失をだして、頭取職を辞めることになり一部の損害を私財で払い、34歳で松阪市へ戻ってきました。

37歳で東京に居を移され、57歳の時に井上馨(かおる)の依頼を受けて、会社が傾きかけていた大阪の鴻池(こうのいけ)家とその経営する鴻池銀行の整理、再建に取り組まれました。

今までの財産を全て費やして、長年想いえがいていた公共の福祉寄与することを目的に公益財団法人原田積善会を設立。明治維新後の社会的な歪みや貧富格差の急激な拡大などを考え、それをなんとか解消したいという考えからだったそうです。その後、10年間財団の代表として運営を行い、82歳で死去しました。

令和の時代になりましたが、公益財団法人原田積善会は社会福祉に寄付・協力されております。

原田二郎の旧邸が一般公開されていますので、是非一度、見学してみて下さい。

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